先日、岐阜県多文化共生社会推進会議の幹事会に上司の代理で出席した。
岐阜県多文化共生社会推進会議とは、県と市町村の関係機関が集まって、在住外国人に関する問題について情報交換を行い、話し合うための場として設置されたものである。事務局は、県国際室にある。
初めて出席したが、外国人問題とはつまり教育問題なのだなぁという思いを強くした会議であった。
正直なところ、私と外国人問題との接点はあまり多くない。仕事柄、企業ヒアリングなどで、時折、外国人労働について言及される人はあるが、基本的には‘使う側’としての企業人へのヒアリングなので、「単純労働に従事できる外国人の流入を認めてほしい」とか「研修期間だけでは短すぎる」だとかという意見が大半である。
それ以外の外国人問題との接点といえば、報道を除けば、私の場合は母である。母の知人が縫製工場で若い中国人女性を雇っており、母がそのうちの何人かと懇意になったのである。家に招いていっしょに食事をしたり、浴衣を着せてみたりと、ずいぶん仲が良かったが、今では研修期間を終え、すでに中国へ帰ってしまっている。世間で外国人犯罪が話題になる度に「まじめに働いている子達もいるのに」と母は憤慨していた。
彼女たちは狭い部屋に何人かで住み、少しでも多くお金を貯めるため、食事代も節約する。先日、今にも崩れそうなアパートの前を通ったときに、母が「ああいうところに中国の子達が住まわされている」と怒っていたこともある。
私の在住外国人体験というと、ま、この程度のことなので、在住外国人問題というと、犯罪のほかには労働者としての外国人問題を捉えがちだったのだ。ところが、この会議に出てみて、自分の認識が誤っていることを感じたのである。
外国人問題と一言で言っても、大きく分けて、犯罪、労働、教育、生活(地域住民との共生)の4つの問題があるそうだが、すべての問題の根底に教育の問題があるというのが参加者の大半の認識であった。
岐阜県の場合、アパレル産地である岐阜市周辺では中国人が多く、電気機械器具製造業、輸送用機械器具製造業などの多い可茂地域や大垣市ではブラジル人が多い。中国人が多い地域とブラジル人が多い地域とでは、恐らく問題が違うと思われるが、会議の中で主に話題になったのは、「定住する」ことによって発生する問題が大半であった。
出身地や雇用形態によって事情は異なるのだろうが、自国の経済状況が好転しないまま、2〜3年のつもりが滞在期間が長期化している労働者が少なくないようなのだ。短期滞在のつもりだったため、言葉も習得せず、地域にとけ込む努力もせず、異邦人然としたままの人も少なくないようだ。
言葉ができないため、地域で孤立し、将来の展望も描けず、犯罪に走るというパターンが多いらしい。これは、現在起こっている現象だが、そういう人たちの子供がこのまま日本に定住した場合、犯罪の再生産などの悪循環を招きかねない。そこで、教育が重要になるのだ。
しかし、現状は、「小中高校の受け入れ態勢が整っていない。言葉も通じないまま、カリキュラムもなく、現場の教師達は困っている」、「ブラジル人学校があるが、授業料が高く、子供を学校に通わせない親も多い(不就学)」などという状態らしい。
「中学の卒業資格がないと、日本では正社員として就職することができない。そうすると、子供達は大人になっても、親たちと同じような不安定な職にしか就けなくなる」という教師の言葉を聞いて、私は遙か昔(?)、学校で聞いた「貧困の再生産」が今の日本にも存在しているという事実に少なからず驚いた。
ことほど左様に、私は外国人問題を自分の範囲の外に置いてきたわけだが、目の前に、それを身近な課題、喫緊の課題として捉え、議論している人たちがいた。教育委員会、県警の担当者と、何といっても、外国人が多く居住する市の担当者の熱さには打たれた。特に、市内に6,000人近い外国人を抱える可児市(全人口の6.2%)や美濃加茂市(同8.8%)の問題意識は高く、私は、市町村という自治体の重要性を再認識した。
以前、少し書いたこともあるが、新潟県中越地震や阪神大震災の際など、自らも被災者でありながら、被災者という名の住民に直接相対する市町村職員というのは、なんと大変な仕事だろう、と当時感じたことを思い出した。この外国人問題にしてもそうだ。
例えば、先の「小中学校での外国人子女受け入れ態勢」について言えば、所管する教育委員会において、すでに教師の増員配置は実施しているし、カリキュラムづくりにも取り組んでいるが、現場(市)ではそれを待ってはいられない、あるいは、それでも足らない、というような切迫した状況を感じる。
※ちなみに(言いたいので言う)、ブラジル人学校の授業料の問題については、学校法人であれば県の既存の運営補助金の対象となることができるので、ブラジル人学校が法人認可されるための要件を整えることが急務の課題。つまり、法人認可されれば補助金が得られるので、学校運営の全額を父母で負担するという仕組みが解消されることになる。それでもまだ相対的に授業料が高い等の問題があるかもしれないが、それはまた次のステップの問題。
おそらく、県と市町村との関係において、これは私の眼前に表出した問題の一つに過ぎないのだろう。なんてことを考えた。
市町村ってのは、やっぱり住民サービスの最前線なんだなぁ、なんて基本的なことを再認識したりもした。県の存在意義ってのは何なんだろうか、なんて思いもした会議であった。