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だから歩いていくんだよ。 2005年6月
岐阜やん。
岐阜じゃ!!
岐阜県土岐市
焼きたて!! ジャぱん (橋口たかし/小学館・少年サンデーコミックス3巻)
画像を小さくしようと思ってスキャンしたら、こんなんになってしまった。 月乃がコワイ…。
パンタジア新人戦の本線を前に、東は「岐阜じゃ!!」と叫んで、岐阜県土岐市へ向かう。
土岐市には東の祖父の弟(つまり大叔父)・馬三郎がいて、東のためにペターライトの板を焼いてくれる。この板のおかげで、東は準決勝に勝利するわけだが、さて、ペターライトとは何か。
一般的には「ペタライト」、「ぺタル石」と呼ばれ、鉱物学的には「葉長石」という。窯業では比較的ポピュラーな原料で、耐熱性を向上させるため粘土に混ぜて使われ、耐熱土鍋が作られているほか、磁器素地、釉薬、ガラスなどに使われている。
さて、さて、で、東の向かった先=土岐市がこのペターライトの主産地かというと、ちょっと私にはわからない。産地ではあるようだが、日本の産出量のうち、どの程度を占めているかなどは不明。(ネットで調べてみたけどよくわからなかった)
しかし、土岐市が日本でも有数の窯業地であることは事実である。正確に言うと、土岐市を含む岐阜県の東濃地方全体(特に、土岐市、多治見市、瑞浪市、笠原町)が、日本屈指の窯業地なのだ。この地方で焼かれるやきものは“美濃焼”と呼ばれるが、例えば、隣県・愛知の常滑焼、滋賀県の信楽焼などの産地と同規模の産地が10以上も集積して一大産地を形成している。
この地域は、日本の日常食器の6割を生産する産地でありながら、その生産量の多さ、バリエーションの多様さが災いし、逆に美濃焼としての個性が発揮できなくなっていることが産地の弱みであり課題だ。(この辺ちょっと余談気味?)
東濃地域と峠を隔てた向こうには、愛知県瀬戸市があり、瀬戸と美濃地域とで、日本最大の焼き物産地を形成しているといっても過言ではないだろう。(陶磁器を表す言葉「せともの」は瀬戸の生産品の意味なのだ)
ちなみに、美濃焼が評価されるようになった歴史はとても浅い。実を言うと、以前は、美濃焼を代表する焼き物は、志野も黄瀬戸も織部も、皆、瀬戸産だと考えられていたのだ。昭和5年(1930年)、荒川豊蔵※が、岐阜県可児市久々利大萱で桃山時代の志野陶片を発掘し、これら桃山陶を代表する焼き物が美濃の地で焼かれていたことを証明したことから、“美濃焼”が産地ブランドとしての力を得ることとなったのである。
ところで、東馬三郎の家は土岐市のどこにあるのか。
家周辺の描写がほとんどないので推定は難しいが、裏山(のようなところ)で土を掘り出しているところを見ると、おそらく、下石(おろし)か駄知(だち)あたりではないだろうか。
ちなみに、下石は、袋物(徳利)の全国使用量の大半を焼き上げる産地、駄知はどんぶりの主産地である。
※ 荒川豊蔵(あらかわとよぞう)(1894−1985)
陶芸家。岐阜県生まれ。北大路魯山人の助手を務めてのち、志野・瀬戸黒など桃山時代の焼物の再現に力を尽くす。昭和30年(1955)に人間国宝に認定され、同46年(1971)には文化勲章を受章。昭和60年(1985)歿、91歳。
■主な関連サイト (たくさんあるから代表的なところだけ紹介するね) |
□やきもの王国 |
| やきもの産地交流・連携推進協議会のサイト。東海地方のやきものの産地を紹介。 |
□土岐市 |
| 人口:64,059人 面積:116.16km2 平均気温:15℃前後
岐阜県の東南部に位置する(隣接地:瑞浪市、多治見市、可児市、御嵩町、愛知県瀬戸市、豊田市)
名古屋市からは40km圏にあり、鉄道で名古屋駅まで約40分の距離
東濃地域は、良質な陶磁器用粘土が豊富なことから、1300年以上の歴史をもつ古来からの焼き物の産地として発展。美濃焼は、7世紀の須恵器の生産に始まり、16世紀の安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、瀬戸黒、黄瀬戸、織部、志野などの自由奔放な作陶による茶陶・高級食器が生み出された。17世紀以降は日用食器の生産が主体となる。明治以降、量産化が進み、市の基幹産業である陶磁器産業の基盤が形成された。
隣接の窯業地・多治見市、瑞浪市、笠原町と合併を模索していたが、2004年破綻。名実ともに一大“陶都”が誕生するはずだったのに、個人的にはちょっと残念。 |
| ・下石 下石陶磁器工業協同組合 |
| ・駄知 駄知陶磁器工業協同組合 駄知小売商業協同組合 |
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