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2007.5.27
岐阜やん。
美濃国の大垣在の浄願寺に駆け込んだ
宝光院?
恩讐の彼方に (菊池寛)
二十里に余る道を、市九郎は、山野の別なく唯一息に馳せて、明くる日の昼下り、美濃国の大垣在の浄願寺(じょうがんじ)に駆け込んだ。彼は、最初からこの寺を志してきたのではない。彼の遁走の中途、偶然この寺の前に出た時、彼の惑乱した懺悔の心は、ふと宗教的な光明に縋ってみたいという気になったのである。
浄願寺は、美濃一円真言宗の僧録であった。市九郎は、現往明遍大徳衲(げんおうみょうへんだいとくのう)の袖に縋って、懺悔の真(まこと)をいたした。
ココを初めて読んだとき、「あ、あのお寺のことかな」と思ったお寺がある。寺の名前を記憶していなかったので、資料で確認したら、それは浄願寺ではなかった。
で、ネットで検索してみたのだが、どうやら大垣市には浄願寺というお寺は無い模様。どうやら、菊池寛の創作寺院名らしい。…でも、実話を元にしている以上、モデルにした寺が大垣市にあるはずだ! その寺院ないし大垣市が縁起の中でPRしているはずだ!――ということで、ちまちま検索してみたのだが、公式記録には辿り着けず。
宝光院がモデルである、というサイトには辿り着いたのだが、その根拠は不明。
……はて?
宝光院は大垣市野口にあるお寺。
ストーリーから言って、かなり由緒ある寺だと思ったのだが、それが本当に宝光院なのだろうか。そりゃま、宝光院もきっと江戸時代からあったとは思うが、立地がね、どうもね、ちょっとイメージと違う。
宝光院は、街道沿いにないどころか、結構、離れたところ(しかも明らかに江戸時代の農村地)に立地しているのだよ。木曽からはるばる逃げてきた市九郎が、いくら逃亡生活とはいえ、主街道から離れたところをうろついたとは、ちと考えづらい、と思うのだね。
しかもね、宝光院は、現在、天台宗の寺のようなのである。作者が、わざわざ宗派を変えて小説を書く理由は恐らくないだろうから、宗派が違う、というのは、「宝光院≠浄願寺」ということなのではないか、と思うわけである。そりゃね、お寺も創建以降宗派を変えることがないとは言えないので、江戸時代当時、宝光院が真言宗であった可能性もあるが。
じゃ、どこか。……というと、私が最初に思いついた寺(街道沿いではないが、街道近くの山にある)を、念のため確認してみたところ、これが、真言宗だったのだよ。でもね、縁起を見ても、禅海上人との関係については、全く触れられていない。……やっぱ、違うのかな?
と、言うわけで、浄願寺がどこなのか、は不明。
大垣市内の真言宗をすべて当たってみて、推理する手もあるが、それは……勘弁。
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